〜創造温泉での体験〜
森五六九(もりごろく)
森五六九(もりごろく)
大和座通信より抜粋
関西の奥座敷「有馬温泉」。ここに「有馬玩具博物館」という世界中の玩具を集めたミュージアムがある。大規模で良質なコレクションの数々。温泉地にありがちな見せ物小屋的様相とは明らかに一線を引いている。創業八百年の歴史を持つ老舗旅館「御所坊」の御主人金井啓修氏の企画プロデュースによるものだ。先月二十九日、私はこの博物館で高座を務めさせて頂いた。
金井氏とはもう二十年近くのおつき合いをさせて頂いている。氏はなかなかのアイデアマンで訪れる度に至極感心させられる。例えば有馬特有の茶色く濁った金泉と呼ばれるお湯を利用した浴槽の造り。入り口は当然男場女湯と別れているが、スロープを通って中へ入ると双方の行き来は当然できないものの顔を見合わながら湯舟に浸かる事ができる。家族連れに人気が高い。環境問題、バリアフリー !どれをとっても並みのこだわり方ではない。それから有馬そぞろ歩きの楽しさ。全国各地の温泉地を訪れることが多いが、結局ホテル内で全て用を済ましてしまい、全く街の散策をしなかったという事が多々ある。街全体の魅力が薄いからだ。しかし有馬の場合、街のそぞろ歩きをする人がかなり多いのに気がつく。みやげ物屋や喫茶店、バー、ラーメン屋、博物館、どれをとってもある一定の統一感があって落ち着きの中にわくわく感がある。これなども氏のプロデュースによるところが大きい。私の家内などは行くと必ずチェックインよりかなり前に着いて、荷物だけをフロントに預けまず街の散策に出かける。少なくとも三時間近くは帰って来ない。何度も訪れているのによくまあ飽きないものかと思う。街全体が楽しいのだ。また、氏はずいぶん前から有馬の「創造都市」化を提唱してきた。「創造都市」という言葉は世界的に都市計画に関わる人の間で流行しているらしい。その発端は都市計画の先進国イギリス。衰退した都市を芸術家などの創造的仕事に携わる人材の力で、まちの一般の人の創造性も引き出して、まちの諸問題を解決していく都市のこと。そんな流れの中、二年程前に完成したのが六階建ての施設「有馬玩具博物館」。ここには日本いや世界を代表する玩具作家たちの作品が集められている。子供のみならず大人が楽しい。いや大人の方がはしゃいでいるかも知れない。落語会の開演前、打ち合わせを兼ねてからくり作家で館長の西田明夫氏と話す機会が持てた。岡山にある現代玩具博物館の館長も兼任されている。「蝶六さん、レゴっていう玩具があるでしょ。あれはデンマーク語で『よく遊べ』っていう意味なんですよ。自由な発想で自由に遊べばいい。でも日本ではレゴ のブロックって言って、ブロックを付ける。つまり『積む』という行為に限定しちゃう。」静かにおだやかに語るその眼差しは少年そのもの。いっぺんに館長のことが大好きになった。館長も金井氏に惹かれてやってきた一人だ。ここでは子供たちが自由に発想し遊ぶコーナーがあって結構賑わっている。「今日、皆さんにお見せするからくり人形はイギリスの作家が創りましてね、これ実は歌舞伎役者なんです。で、その人が河豚を食べている。・・・ そうです。先代の板東三五郎さん。河豚の身を口に運ぶでしょ。すると十三回目にカクンと! 」グロテスクでしかも毒性の高いものを好んで食べる日本人がイギリス人には奇異に映るらしい。人形を廻す度にペン、ペンと鳴る音も浄瑠璃の太種を連想させる。また、頭をセンター分けにして見るからにくそ真面目な、スパゲティーを食べるイギリス紳士のからくり人形。イタリアにかぶれているらしくパンツはみどりと赤の水玉模様つまりイタリアンカラー。しかしどういう訳か上半身は裸である。これはどういう意味かと言うと、向こうでは正式な場ではシャツを汚す恐れのあるスパゲティーは出さない。だからシャツを汚さぬようにという配慮。滑稽である。このようにからくり作品ひとつひとつに色んな背景があって聞けば聞くほど引き込まれる。館長との対談は多岐に渡って、職人を大事にするドイツと日本の実情、人形による有馬芝居小屋構想 !笑いと感心の中あっという間に時間が過ぎていった。
ところで今回の企画は「落語を聞いて鍋を食べ会」。会場入りしたお客をまず一番太鼓、二番太鼓で迎える。三十数名の方が集まってくれた。演目は冬にちなんで私が「池田の猪買い」、落語家仲間の桂春雨さんに「河豚鍋」をお願いした。下座三味線は春雨夫人の中田まなみさん。落語の「河豚鍋」の前には、館長によるからくり人形の解説や河豚談義でお客を和ませてくれた。それにしても反応のいい上質なお客さんだ。からくり人形のユーモアと落語のそれは相通ずるものがあるのだろう。「お客さんの中には何故に玩具博物館で落語会なのかと思われた方もおられると思います。でもここにある玩具はまさしく創造の世界、落語も想像の世界という事で l 」という私の言葉にも大きく沸いてくれる。落語鑑賞の後、お客さんには館内にあるレストランや宿の部屋に流れてもらい、今度は食べる「河豚鍋」 コースに楽しんで頂いた。我々演者一行も宿にてお客さまと同じものを食した。本当の食事とは腹だけでなく心まで満たしてくれるものだと、ここを訪れる度いつもそう思う。
会を終え、この原稿を書くため博物館が出しているホームページを覗いた。すると、館のスタッフのこんなコメントが載っていた。「二十年代半ばまでは『食べること』と『遊ぶこと』が子供の真剣な自己目的である時代が続いていた。(カトウくんのおまけ9 玩具デザイナー加藤祐三の世界より)今現在でも子供たちの欲求の大半を占めるのは『食べること』と『遊ぶこと』です。これは子供たちのみならず、大人であってもそういう童心を持ち続けているでしょう。今回企画した『落語と鍋の会』ではそんな大人たちに潜む子供の部分を刺激することができたと思います。落語という日本古来からのエンターテイメント、そして河豚鍋という冬の珍味。このコラボレーションはものすごい意外性があるんですが、良く考えてみるとグリコのおまけとキャラメルみたいにとても自然な組み合わせではないでしょうか。」
これを読んでふと思い出したのは「上質のコラボレーション」ということ。我が大和座のメニューで些か恐縮ではあるが、近いところでは去年の年末A&Hホールでも紹介した岩崎勇先生と我が師安東によるコラボレーション。日本を代表するオーボエ奏者岩崎先生の演奏に合わせて安東が小舞を舞うというもの。また、井上放雲のチェロ演奏と安東の小舞もあった。どれも上質のコラボレーションだ。それぞれがそれぞれの芸をその素材のまま紹介し、それぞれが変な奇をてらうことなくコラボレーションするという事が良質の演しものにつながる。中途半端な歩み寄りは要らない。多少の作戦は必要だろうが上質で良質同志がそのままからみ合えばきっといいものができるといういい例。私自身は上質というにまだまだ程遠いが ・・・
さて、今回の「落語と鍋とからくり人形」もどうやら次回につなげることができそうだ。次回は四月二十三日を予定している。やはり同様の趣向。どうやらロコミという最高の媒体が味方してくれたらしい。「落語を聞いた」というだけではなかなか井戸端会議に上らぬが、「落語と鍋とからくり人形の会に行った」と言うとちょっとした興味が湧いて口から口へと情報が伝わっていく。このコラボレーションにはちょっとした大きなおまけ「ロコ”△までもが付いてきた。おまけは幾つになったって嬉しいものです。(了) 2006.2.2
金井氏とはもう二十年近くのおつき合いをさせて頂いている。氏はなかなかのアイデアマンで訪れる度に至極感心させられる。例えば有馬特有の茶色く濁った金泉と呼ばれるお湯を利用した浴槽の造り。入り口は当然男場女湯と別れているが、スロープを通って中へ入ると双方の行き来は当然できないものの顔を見合わながら湯舟に浸かる事ができる。家族連れに人気が高い。環境問題、バリアフリー !どれをとっても並みのこだわり方ではない。それから有馬そぞろ歩きの楽しさ。全国各地の温泉地を訪れることが多いが、結局ホテル内で全て用を済ましてしまい、全く街の散策をしなかったという事が多々ある。街全体の魅力が薄いからだ。しかし有馬の場合、街のそぞろ歩きをする人がかなり多いのに気がつく。みやげ物屋や喫茶店、バー、ラーメン屋、博物館、どれをとってもある一定の統一感があって落ち着きの中にわくわく感がある。これなども氏のプロデュースによるところが大きい。私の家内などは行くと必ずチェックインよりかなり前に着いて、荷物だけをフロントに預けまず街の散策に出かける。少なくとも三時間近くは帰って来ない。何度も訪れているのによくまあ飽きないものかと思う。街全体が楽しいのだ。また、氏はずいぶん前から有馬の「創造都市」化を提唱してきた。「創造都市」という言葉は世界的に都市計画に関わる人の間で流行しているらしい。その発端は都市計画の先進国イギリス。衰退した都市を芸術家などの創造的仕事に携わる人材の力で、まちの一般の人の創造性も引き出して、まちの諸問題を解決していく都市のこと。そんな流れの中、二年程前に完成したのが六階建ての施設「有馬玩具博物館」。ここには日本いや世界を代表する玩具作家たちの作品が集められている。子供のみならず大人が楽しい。いや大人の方がはしゃいでいるかも知れない。落語会の開演前、打ち合わせを兼ねてからくり作家で館長の西田明夫氏と話す機会が持てた。岡山にある現代玩具博物館の館長も兼任されている。「蝶六さん、レゴっていう玩具があるでしょ。あれはデンマーク語で『よく遊べ』っていう意味なんですよ。自由な発想で自由に遊べばいい。でも日本ではレゴ のブロックって言って、ブロックを付ける。つまり『積む』という行為に限定しちゃう。」静かにおだやかに語るその眼差しは少年そのもの。いっぺんに館長のことが大好きになった。館長も金井氏に惹かれてやってきた一人だ。ここでは子供たちが自由に発想し遊ぶコーナーがあって結構賑わっている。「今日、皆さんにお見せするからくり人形はイギリスの作家が創りましてね、これ実は歌舞伎役者なんです。で、その人が河豚を食べている。・・・ そうです。先代の板東三五郎さん。河豚の身を口に運ぶでしょ。すると十三回目にカクンと! 」グロテスクでしかも毒性の高いものを好んで食べる日本人がイギリス人には奇異に映るらしい。人形を廻す度にペン、ペンと鳴る音も浄瑠璃の太種を連想させる。また、頭をセンター分けにして見るからにくそ真面目な、スパゲティーを食べるイギリス紳士のからくり人形。イタリアにかぶれているらしくパンツはみどりと赤の水玉模様つまりイタリアンカラー。しかしどういう訳か上半身は裸である。これはどういう意味かと言うと、向こうでは正式な場ではシャツを汚す恐れのあるスパゲティーは出さない。だからシャツを汚さぬようにという配慮。滑稽である。このようにからくり作品ひとつひとつに色んな背景があって聞けば聞くほど引き込まれる。館長との対談は多岐に渡って、職人を大事にするドイツと日本の実情、人形による有馬芝居小屋構想 !笑いと感心の中あっという間に時間が過ぎていった。
ところで今回の企画は「落語を聞いて鍋を食べ会」。会場入りしたお客をまず一番太鼓、二番太鼓で迎える。三十数名の方が集まってくれた。演目は冬にちなんで私が「池田の猪買い」、落語家仲間の桂春雨さんに「河豚鍋」をお願いした。下座三味線は春雨夫人の中田まなみさん。落語の「河豚鍋」の前には、館長によるからくり人形の解説や河豚談義でお客を和ませてくれた。それにしても反応のいい上質なお客さんだ。からくり人形のユーモアと落語のそれは相通ずるものがあるのだろう。「お客さんの中には何故に玩具博物館で落語会なのかと思われた方もおられると思います。でもここにある玩具はまさしく創造の世界、落語も想像の世界という事で l 」という私の言葉にも大きく沸いてくれる。落語鑑賞の後、お客さんには館内にあるレストランや宿の部屋に流れてもらい、今度は食べる「河豚鍋」 コースに楽しんで頂いた。我々演者一行も宿にてお客さまと同じものを食した。本当の食事とは腹だけでなく心まで満たしてくれるものだと、ここを訪れる度いつもそう思う。
会を終え、この原稿を書くため博物館が出しているホームページを覗いた。すると、館のスタッフのこんなコメントが載っていた。「二十年代半ばまでは『食べること』と『遊ぶこと』が子供の真剣な自己目的である時代が続いていた。(カトウくんのおまけ9 玩具デザイナー加藤祐三の世界より)今現在でも子供たちの欲求の大半を占めるのは『食べること』と『遊ぶこと』です。これは子供たちのみならず、大人であってもそういう童心を持ち続けているでしょう。今回企画した『落語と鍋の会』ではそんな大人たちに潜む子供の部分を刺激することができたと思います。落語という日本古来からのエンターテイメント、そして河豚鍋という冬の珍味。このコラボレーションはものすごい意外性があるんですが、良く考えてみるとグリコのおまけとキャラメルみたいにとても自然な組み合わせではないでしょうか。」
これを読んでふと思い出したのは「上質のコラボレーション」ということ。我が大和座のメニューで些か恐縮ではあるが、近いところでは去年の年末A&Hホールでも紹介した岩崎勇先生と我が師安東によるコラボレーション。日本を代表するオーボエ奏者岩崎先生の演奏に合わせて安東が小舞を舞うというもの。また、井上放雲のチェロ演奏と安東の小舞もあった。どれも上質のコラボレーションだ。それぞれがそれぞれの芸をその素材のまま紹介し、それぞれが変な奇をてらうことなくコラボレーションするという事が良質の演しものにつながる。中途半端な歩み寄りは要らない。多少の作戦は必要だろうが上質で良質同志がそのままからみ合えばきっといいものができるといういい例。私自身は上質というにまだまだ程遠いが ・・・
さて、今回の「落語と鍋とからくり人形」もどうやら次回につなげることができそうだ。次回は四月二十三日を予定している。やはり同様の趣向。どうやらロコミという最高の媒体が味方してくれたらしい。「落語を聞いた」というだけではなかなか井戸端会議に上らぬが、「落語と鍋とからくり人形の会に行った」と言うとちょっとした興味が湧いて口から口へと情報が伝わっていく。このコラボレーションにはちょっとした大きなおまけ「ロコ”△までもが付いてきた。おまけは幾つになったって嬉しいものです。(了) 2006.2.2
まず桂蝶六さんに「池田の猪買い」を演じてもらう予定です。